氷川女体神社

三室    氷川女体神社    所在地 さいたま市 緑区宮本二丁目

平成13年正月 参拝客が大勢訪れています。

氷川女体神社は県内屈指の古社です。社伝では、崇神天皇のときにつくられたと伝えられています。
祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、大己貴命(おおなむちのみこと)と美穂津姫命(みほつひめのみこと)が合祀されています。

大宮の氷川神社はかつての武蔵国を中心に数多くある氷川神社の総本社とされ、県内ではもっとも知られた神社ですので、以前は「延喜式」神名帳に記載され、武蔵国一宮は大宮氷川神社だとされていました。しかし最近では氷川女体神社や中山神社の存在も念頭に入れて見沼を見下ろす台地上に立地するこの三社で一つの氷川神社を形成していたと考えるのが一般的になっています。事実氷川女体神社の拝殿には武蔵国一宮の扁額がかかっており、数多くの文化財もその説の信憑性を高めています。…さきたま文庫より引用

この氷川女体神社は、鎌倉、室町時代の社宝が多く、三鱗文兵庫鎖太刀(国認定重要美術品)、牡丹文瓶子(県指定有形文化財)、大般若波羅密多経(県指定有形文化財)、神輿(県指定有形文化財)は特に有名です。

このように見沼とは深い関係にあり最も重要な神事の「御船祭」は見沼の船上で行われていました。しかし1727年(享保12年)に見沼が干拓され、これに変わって出島で「磐船祭」が行われるようになりました。
江戸時代には社領50石が寄進されており、現本殿は徳川家綱によって再建されました。
                           氷川女体神社社叢          
氷川女体神社社叢はさいたま市指定天然記となっています。さいたま市掲示板によると
「社叢は、クスノキ、タブノキ、シラカシ、モチノキ、サカキ、ヒサカキ、ネズミモチ、シロダモ、チョウジカズラ、ビナンカズラなどの自然林の常緑広葉樹を中心に構成されています。」
とあります。暖地性の植物が多く見られます。またスギなど樹齢数百年を越えると思われる木が見られます。
さいたま市指定史跡          氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡  
氷川女体神社の最も重要な神事は御船祭でした。隔年の9月8日、神社から御輿を乗せた御座船が見沼を南下し、御旅所で瓶子に入れた神酒を沼の主に供献するというもので、見沼が干拓されるまで、続けられました。
1727年(享保12年)の見沼干拓により中止せざるを得なくなりました。そこで祭りの形態を改めて鳥居下の突端、新田の中に山を築いてまわりを池にし、山の上に土壇を設けて祭場としました。沼中から土の上へと祭場に移り、その名称も「磐船祭」と変化しましたが、旧来の祭礼は復活しました。
しかし、「磐船祭」も長くは続かず、江戸時代の終わりとともに廃止されてしまいました。今、社頭の旧見沼内に柄鏡形の池とその中に島を持つ遺跡が、この祭場後です。…さきたま文庫より引用

土壇場の周囲の池

大宮氷川神社とともに武蔵一宮であるこの神社と見沼の重要な祭祀が行われた磐船祭祭祀遺跡、武蔵野の森が残る社は一見の価値があります。

資料 埼玉県掲示板・さきたま文庫


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