富士講や庚申講、二十三夜講など見沼周辺にも様々な講を供養した塔や塚が存在します。ここではこれらの講や講組織について紹介します。
講には大きく分けて二つの種類があります。
一つは経済的な動機でつくられる結社集団で頼母子講・無尽講・模合講・結講などです
もう一つは宗教信仰上の目的を達成する信仰的講習団です。
ここで扱うのは信仰的講習団で富士講や庚申講、二十三夜講などがこれにあたります

富士塚

二十三夜塔

庚申塔

信仰的講も2つに分類することができます。地域社会に自生したものと外から導入されたものです。
前者は山の神、田の神、水神のような民俗宗教から自然発生したものと産土(ウブスナ)や氏神のような神道的祭祀集団に分けられます。山の神、田の神、水神などの講の多くは祭祀の組織、機能が伝統的土着的であり、運営の主体も地域社会です。
二十三夜講のような月待は特定の月齢の日を忌み籠りの日として、講員が集まって飲食をしながら月の出を待って月を拝むもので、原始信仰に基づくものといえます。
外部からの導入され、布教によって形成された講は前者よりも結成の範囲も広く多くは専門の司祭者が経営の主体となって活躍し、氏子は副次的な役割を果たすものとなっています。
これらの中には仏教講(報恩講、題目講、観音講、薬師講、地蔵講、不動講など)・霊社の信仰と結びつく神道的講(伊勢、熊野、春日、八幡、金比羅、稲荷など)・山岳信仰に基づくものは修験道の色彩が濃い(富士(浅間)講、白山講、三峯講、御岳講など)・庚申講はもとは道教からのものでありましたが、室町時代に僧侶によって「庚申縁起」がつくられてから仏教的になり、江戸時代には修験道や神道でも独自の独自の庚申信仰を説きだし、全国的に盛んになったものです。
講の起源は、仏典を講義研究する僧衆集団の名からでました。それが民間に浸透するにつれて在来の信仰集団に講の名称を付ける風がひろまって一般化しました。
さらに金品を融通のための頼母子や無尽、相互扶助の共同労働組織の結や模合にまでひろまりました。

川口市内のある祠

白山神社

三峯神社

桜稲荷